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2017年8月15日、羽佐間カノンの命日に記す。

​羽佐間容子についてのおはなしです。

羽佐間翔子は羽佐間容子の手を振り払って、一人蒼穹へと翔び立った。そうして羽佐間容子の手の届かないところまで高く、高く羽撃たいて、彼女の目の前でいなくなった。

一方羽佐間カノンは、その命をもって未来を変えた。羽佐間容子が見守る中、ケージの中のドライツェンに乗り込み、SDPを使って。彼女は未来で戦った。ドライツェンは違う時間の流れにいた。SDPを使って戦っているその瞬間、カノンがそこにいたのかと言われれば一考の余地があるが、途中でSDPと新同化現象の原因が分かってメディカルルームに集合がかかったとき、容子はカノンを引き止めることができた。

そういう意味では、カノンは彼女の手の届くところにいたのだ。「これが最後だから」と言った彼女を止めることだって、技術的・物理的には可能だったはずだ。そもそも、体重があと3kg程度しかない彼女を力ずくで止めることができなかったはずがない。それでも止めなかったのは、単純に彼女の決意の固さというのもあるだろうが、自分で何も選べずに命令されるがままだった彼女が、自分の命の使い方を選んで決めた……ということも大きいだろう。もう体は限界であるのだろうと察していたとしても、それを止めるなんてこと、羽佐間容子にはできなかったはずだ。

 

羽佐間カノンは翔子とは対極的だ。翔子はみんなの見ている前で蒼穹へと、カノンは誰も見ていないところで夜空へといなくなった。翔子は容子の手の届かないところで戦い、カノンは容子の手の届く場所で戦った。

これは、容れ物である容子が翔子にとっては鳥籠で、カノンにとっては揺籠だった……というところに拠るだろう。鳥籠を出て飛び立っていった翔子、揺籠の中で眠りについたカノン。

 

羽佐間容子がカノンを失った後、カノンの遺したエインヘリヤルモデル……島を救うために絶対に必要だった、カノン式アクセラレータを搭載したファフナーを作るのに必死になっていたのは、容子がカノンの「生きた」意味をつなぐための行動だったのだと思う。

翔子がいなくなった後、自殺しようとした容子が思いとどまったのは、史彦や総士の介入があって「翔子は死んだのではなく生きたのだ」と納得したことによる。再び娘を失った容子が、「カノンは生きたのだ」と思ったとしたら、その生きた意味をどう受け継ぎ、

どう生かすか……というところに心血を注いだということは容易に想像がつく。やることをやって、それからたくさん泣くわ……とは、息子を亡くした小楯千沙都の言葉であるが、そのやることというのが容子の場合はエインヘリヤルモデルだった。「できたわよ、あなたの機体が」という言葉とともにその場に倒れこんだのはまさにそういうことだったのだろう。このあたりに、羽佐間容子の成長が見える。成長するのは子供だけではない。大人だって、ずっと変わり続けていくのだ。

 

基本的に親から子へ、先輩から後輩へ、姉から弟へと受け継がれていくバトンであるが、羽佐間家の場合は逆だった。子から親へ。逆だったとしても、その意味は変わらない。「継承者たち」という4話のタイトルや、新世代と呼ばれる彗・零央・美三香、未来を切り開く希望たる新たに生まれた命・日野美羽など、受け継ぐものは常に次世代である……との構図が見える蒼穹のファフナーであるが、かといって大人が常に託す側であるかといえばそうではない。将陵僚のメッセージを受け取った大人がいたように、ゴウバインのマークヒュンフやマークゼクスを組み立て直した小楯保や羽佐間容子がいたように。生きている以上、変えることは止められない……とは同化現象に関しての言葉である(どこで聞いたか忘れた、日野洋治だったか?)が、これは変化するのが何も子供に限らない、ということでもある。

 

羽佐間容子もまた変わり続けている。カノンに導かれ、マークドライツェンという器を受け取った来主操と彼女がどういう関係を築くのかが非常に楽しみである。

 

以上、羽佐間翔子とカノンを通して見る羽佐間容子について。長々と失礼しました。

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